ELT持田香織のパフォーマンス評

これはカワイイ

2年ほど前まで、ボクはELTを愛してやまない一人の青年であった。どういうわけだか、一度年越しライブに一人で出向き、ELTとともに年を越したという冴えない思い出も持っている。今ではそのような時期を通り越してはいるが、かといって別段嫌いになったというわけではない。むしろ今ボクが知っている歌手の中では好きなほうではある。だが、残念ながらその一方で、最近TVでELTの姿を見ると正直落胆することが多い。一体、ボクが愛してやまなかった頃のELTと今のELTはどう違うのだろうか。実は答えは分かっている。
一つには――というかこれが最大のポイントでこれ以外はむしろないのだが――ELTの顔といってもいい存在である、持田香織に問題がある、と考えている。もっと具体的に言うと、彼女のパフォーマンスに問題がある。長い黒髪で前髪揃ってるっていうボクから言わせれば、「え?それはオシャレなの?」という感じのその容姿のせいもあるかもしれないが、彼女の歌っている様は正直気持ちが悪い。なにやら【狂いながら神に祈りを捧げる老婆】のような印象を受ける(もちろんボクが抱く印象でしかないが)。一体いつからあのような歌い方になってしまったのだろうか。今となってはそれを知る由もないが、少なくともボクが愛していた頃のELT、曲で言えば「UNSPEAKABLE」「またあした」ぐらいまではどうにかなっていたのだが(当時もパフォーマンスの気味悪さは気にはなっていたがまだ許せる範囲だった)、彼女の気味悪さは年々その度合いを増していったように思う。
繰り返しになるが、僕は決してELTを嫌いではない。好きだ。だからCDもレンタルで聴くのだが、CD音源のほうがボーカルパフォーマンス的にも最高(最近TVで彼女が歌っているのを見ると、正直、下手に感じる)なので、CDは本当にいいと思っている。最新シングル「恋文」だって、ボクは相当好きな曲として感じている。だが、それを最高だと感じられることは、アーティスト側からしてみれば不本意なのではないかと思わないでもない。その根拠はボクの個人的見解からきているのだが、「アーティストはCDを売りたくてCDを売っているわけではなく、人々に自分の創った音楽を届けたくてCDを売っているのだと思うから」というのが根拠だ。つまり、CDは目的ではなく、手段でしかない。そう考えると、CDで届ける音楽ももちろん最良のものである必要はあるが、それ以上に、直接人々に音を届ける場面(例えばライブなど)こそがアーティストにとって最も重要かつ、人々に良いと感じて欲しい場面なのではないだろうか、と思うのだ。
しかし現在のボクを考えると、ライブどころかTVを通した彼女のパフォーマンスさえボクは受け付けなくなってしまった。今後もELTに関しては積極的にCDを聴いていこうと思っているが、CDだけでのやりとりがベストである、と感じている現状に対し、元ファンとしてはとても寂しく感じている。