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少し前の話ですが、何を見るともなくテレビをつけていたら日テレの「AX」という番組に、あの(ごく一部で)有名なBerryz工房のみなさんが出演されており、デビュー曲「あなたなしでは生きていけない」を披露していました。今回初めて彼女たちが歌っているのを見たのですが、印象としてはまさに「ミニ・モーニング娘。」という感じ。ただ、ハッキリ言うと、「拙い」という表現が似合いますね。まだまだという感じ。それぞれのメンバーの動きがバラバラだし、リズムに乗れてない。ただ、まぁこういう否定をするのが目的ではありませんし、なんせこれからのグループですから、そのへんはどうにでもなっていくのでしょう。

そんなコトより気になるのは、この歌(詞)の内容と楽曲の雰囲気。以前から言われていたことかもしれませんが、やはりこの年頃の女の子が歌うような内容でもなければ、楽曲の雰囲気でもありません。これはZYXや「あぁ!」でも同じようなことが言えるわけですが、一体全体、なんでつんく(オス)はこのような楽曲をキッズに回すのでしょうか。発想を逆転させると、「なぜつんく(オス)はこのような楽曲をモーニング娘。などのハロプロの歌手に回さないのでしょうか」。

実は、よくよく考えてみると、モーニング娘。をはじめとしたハロプロの歌手がこのような歌を歌ったとしても、それはそれで違和感アリアリですよね。ここからは、モーニング娘。に限定して話を進めますが、ラブマ直後から考えればだいぶ改善されつつあるとはいえ、6期などの低年齢メンバー加入により、モーニング娘。と言えば今もなお「変な歌」「応援歌」みたいなイメージが先行して大人びた楽曲など歌うことはできないのではないでしょうか。先日見かけた日テレ「歌の大辞典」において「Memory青春の光」を中澤さんが紹介したとき、奇しくもこんなことを言っていました。「昔のモーニング娘。だからこそ歌える歌です」と。もちろんこれは、歌唱力の点で、という意味ではなく、「今のお子ちゃまモーニング娘。」が歌うような歌じゃない、という意味で言ったのだと考えるのが妥当です。

たとえ話ですが、最初はネタのつもりでアイドルの「ワキ」のキャプをしていたサイトがあったとしましょう。すると、それを続けるうちにそのサイトを見ている人にもそのイメージが定着して、「ワキ」をキャプするしかなくなったりしてしまう。もはや「ワキ」から逃げられなくなってしまうのです。

また、これもたとえ話ですが、ネタのつもりでピーチッチというキッズを推すページを作ってしまったサイトがあるとしましょう。これもやはり、続けているうちに本当にキッズを推しているという印象を読者に与えてしまう。すると不思議なことに、「ピーチッチ推し」というイメージのほうが、元々あったはずの「なっち推し」というイメージよりも強くなってしまうのです。少なくともボクはそうでした。

たとえその真実がどうであろうと、読者や客がこういうものだと本人をイメージし、決め付けてしまう以上、それに答えなければならないのかな、と本人に思わせてしまう、それがイメージの怖いところです。今のモーニング娘。もそういった状況にあるのかもしれません。